ザルツブルグ、ウイーン、プラハ旅日記

2006 Apr 29〜May 7

7日目 May5 プラハ 1 プラハ城1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プラハを今日は1日堪能します。最初にプラハ城に行きます。

チェコの歴史3 オタカル2世の失敗:オタカル1世の孫のオタカル2世はハーベンベルク家が断絶に付け込み、政略結婚によりオーストリアを手に入れ広大な領地を支配した。一方神聖ローマ帝国においては、皇帝を選出は有力諸侯の選挙で決まっており、「7選帝侯」という7人の諸侯の手にゆだねられるようになった。13世紀後半シュタウフェル家が断絶すると皇帝が存在しない大空位時代が訪れた。ボヘミア王は最大の力を持つようになっていたが、他の選帝侯はボヘミア王国の力がこれ以上強大になることを嫌い、スイスの小さな諸侯ハプスブルグ家のルドルフ1世を神聖ローマ帝国皇帝に選んだ。ルドルフ1世は周囲からは小さな所領、わずかな財産、凡庸で君主の器ではないと思われていましたが、しかしルドルフ1世はオタカル2世に混乱に紛れて占領したオーストリアの返還を求めましたが、単なる成りあがり者と見ていたオタカル2世は命令を拒否、この結果帝国追放、新しく獲得した領土の没収が決議されたがなおも拒絶し、ついに武力で衝突。ウイーン市民を味方につけたルドルフ1世はマルヒフェルトの戦いで勝利、オタカル2世は復讐に燃える貴族たちに殺害されたとのこと。

チェコの歴史4 カレル4世登場:プシェミスル家はその後何とか混乱を乗り切ったが、1307年プシェミスル家のヴァーツラフ3世が17歳で何者かに暗殺され、跡継ぎが絶たれたため、当時神聖ローマ皇帝であったルクセンブルグ家からボヘミア王を迎えるという事になり、皇帝の息子ヨハンが選ばれたが、彼がボヘミアに行くのを嫌ったため、結局は孫のカールがボヘミア王として行くことになった。彼こそが、カレル4世で、後に神聖ローマ皇帝となり、プラハ城、カレル橋、神聖ローマ帝国で最初の大学であるプラハ大学を作り、プラハを神聖ローマ帝国の都にふさわしい立派な町に作り上げました。

         

ホテルの朝は朝食で始まります。

シンプルでおしゃれな
レストランの入り口。

素敵なお姉さんに
ルームナンバーを告げます。

ヨーロッピアンスタイルのホテルは
「チーズ、ハムはたくさんあるけど、
あとは卵とパンと飲み物数種類のみ」
これって、寂しいです。

どうせならいろいろな種類の食材が、
あればあるほど楽しめます。
こういうアメリカンスタイルがいいです。

やはり、これから始まるハードな1日の
エネルギーを詰め込む場なのだからね。

それでその当地の名物料理なんか
あったりすると最高!

今回は飲み物の種類は少ない。

 

とってきた食材の数々、
うーん、美味しい。

今回は序列を敢えてつければ
ウイーンが一番でしたが、
どこも朝食は充実してましたよ。
JALさん、ありがとう。

ヨーロッパの伝統的な装飾の数々を
取り揃えた、というホテルもいいけれど、
こういうすっきりした空間飾り気がないのも
見ていて気持ちがいいです。

カードキーを入れないと
エレベーターは動きません。

さて出発です。
プラハ城まで バスで10分。
のどかな公園の横を通ります。

 

屋根がぐにゃぐにゃの家!

偉い人が住んでいた家でしょう。

公園の朝は気持ちがいい。

 

お城が見えました。

フラッチャニー広場

衛兵は直立不動!
観光客のおもちゃにされています。

城門の彫像は怖いです。
「戦う巨人たち」

こんな棍棒で殴らなくても。

ところでこのお城に大統領府もあり、
チェコの国旗がたなびいている時は
大統領が中にいるとの事。

こんな観光客まみれのところに
大統領がうろうろしていていいの?
テロとか心配ないような
平和な国なんでしょうね。

ここら辺を散歩している大統領と
毎日でも会えるなんていいですね。

中から城門を見ました。
カレル4世展があります。
英語ではチャールズ4世、
ドイツ語ではカール4世です。

聖ヴィート大聖堂です。
最初は930年に最初に
建てられたそうです。
ただただ圧倒されるのみです。

ヨーロッパでは王の権力と教会側の
権力は相対立するものというのが多い
のに、ここでは王自らが宗教を導入、
保護をしたので、大聖堂は城中に
あるという珍しい作りになっています。

司教を選ぶ権利も国王にあったため、
ボヘミアの教会は事実上君主に支配
されていました。

 

 

聖ヴィートはドイルのザクセンの聖人
です。10世紀にヴァーツラフ1世が
ザクセン王に忠誠を誓った証に
聖ヴィ ートの遺骨がプラハに運ばれ、
大聖堂が建てられたのが始まりです。

 

あ、おっちゃんがいる。

おっちゃん、誰かなあ。
1344年にカレル4世が大聖堂の建築に
着手して、600年近い年月を経て1929年
やっと完成しました。。
だから服も近代風雨なんだ。。。

カレル4世はドイツの若い建築
家ペーター・パーラーを招いた。
最初に作ったのはこの南塔と
聖ヴァーツラフ礼拝堂である。
右下の黄金の扉が入り口であった。

 

実は空が真っ青の写真、
キメが粗いでしょ。
ASA400、ホワイトバランス室内用で
撮ったものです。
海外旅行の写真は
やり直しが効かないのに、、、、
ショックでした。

後側の時計台を見上げていきます。

上の部分です。

下に振ります。
現在の入り口である西側が完成
するまでは正門であった黄金の扉。
その上の絵が「最後の審判」の
モザイク画です。

中央がキリスト、下方に聖人たち
、更に下はカレル4世と4番目の妻
エリザベートです。彼は次々に
妻に先立たれ、生涯4人の妻を
娶りました。
これもASA400、
キメが上と違いますよね。

ガーゴイルはゴチック建築の
建物によくいますが、
雨を遠くに落とすための飾りとして
使われているそうです。
ガーゴイルの意味は
水がぐるぐるいう音から
来ているそうです。

知らなかった。60へぇくらい?

 

さあ、中に入ってみましょう。