ザルツブルグ、ウイーン、プラハ旅日記

2006 Apr 29〜May 7

2日目 Apr.30 ハルシュタット

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハルシュタットはザルツカンマーグートの中でも、世界遺産に登録されている美しい街です。
1846年にハルシュタットの古代遺跡が発見され、ケルト人が紀元前1000-500年前にすでに高度な文明を築きあげてい事が明らかになりました。ケルト人は岩塩を採掘した。ギリシャ、オリエントなど地中海文化の影響を色濃く受けていることからそれらの人々との交易をしていた事がうかがい知れます。

下の図のようにケルト人は紀元前400年には鉄製武器を身に付け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配され、欧州各地に分立した。ミラノやボローニャはケルト人に作られた町です。BC387年ローマを占領、BC323年ギリシアにも侵攻するなど、広大な地域を支配していたが、あくまで部族単位の活動であり、統一国家が形成されることはなかった。ガリアでカエサル率いるローマ軍に破れると次々に各部族が征服され、ブリテン、アイルランドに追いやられてしまった。アーサー王伝説や、最近ではエンヤでケルト伝説が登場するようになったが、文字を持たないケルト人は自身の残した記録は殆どなく、幻の民と呼ばれている。

 

     

ケルト人の分布 紀元前1500年から同1000年にかけてのケルト人の分布(藍色)、紀元前400年のケルト人の分布(赤紫色)

ウィキペディアより

 

美しい山並みが続きます。

ザルツカンマーグートの首都、
バート・イシュルの街はずれの川です。
街は写真撮れませんでした。温泉保養地で、
ハプスブルグ帝国の実質的に最後の皇帝である
フランツヨーゼフ皇帝の避暑地として
栄えました。

また1914年セルビアに対する
宣戦布告に署名したところでもあります。
その後ドイツがロシアに宣戦布告し、
第一次世界大戦へと発展したわけです。
そこまで予想していなかったのではないでしょうか。
この皇帝、戦争の結末を見ることなく1816年死去します。

ハルシュタット湖です。閉ざされた所です。 列車の駅から渡し舟で行くか、、

長いトンネルを抜けるかでしか、行けません。

トンネルを出ると二宮金次郎、
もとい、ケルト人がお迎えしてくれます。

ケルト人についてもっと知りたい人は
アトリエケルトの世界へようこそ

ウィキペディア
を読まれてください。

味があります。

ハルシュタットの人々を
いつも見守ってくれているのでしょう。
湖の先に、

お城が見えます。

人口1000人が少ない土地に

山肌にもへばりつくように住んでいます。

博物館に入る時間はなかったのですが、
お店の地下に小博物館があり行って見ました。

いろいろな出土品は時代を感じさせず、
現代でも十分使用できそうなものもあります。

紀元前1000年とはとても思えない、
高度な文明だったのでしょう。

ここも遺跡だったのですね。
文字が読めないのでよくわかりませんが、、、

ケルト人?

民族衣装をつけたペア、
これもケルト人を想定しているのでしょうか?

このような船を浮かべていたのでしょう。

 
ハルシュタットのシンボルマークは渦巻きです。
輪廻転生を表しているとのこと。
みゃ〜、おいで〜。
ドイツ語じゃないと通じないかな〜?
僕は無実ですぅ この直後に飛び上がって、
お店の商品をひっくり返します。
狭い路地を通ると、、
教会が見えてきました。
カトリック教会です。教会の間の広場は、、
マルクト広場(Marktplatz)という
美しい広場です。
噴水手前から広場の奥に向かって
撮るのがお約束のポジションだったようです。
奥に見えるのは、
バインハウス(Beinhau)という納骨堂です。

狭くてお墓のすぺーすもとれなかったので、埋葬して
10-20年たった遺骨を取り出して次の遺体を埋める
という風習がありました。取り出した遺骨を納めている
のがバインハウスで約1000個の頭蓋骨が並び、
名前や花などの絵が描かれています。

知らずにいきなりその写真を見た時は、
「野蛮だ〜」 とおびえていました。

再び元のところに戻ります。

ピンクの紫陽花
水のみ場です。

石に彫刻を施した珍しい飾りですね。
早速ゲットしたようです。

 

 

絶壁と湖にたたずむ静かな 美しい町という印象です。
大丈夫かな〜?
土地が狭いので家も大変!
道路に迫ってきます。
これは持って帰れない。

空気も美味しく、楽しい散歩道です。

うさちゃん!

天使でしょうか?上の花はムスカリ、
下の花はビオラだそうです。
パンジーとどう違うの?って、
調べると花の直径3cm以上がパンジー、
それ以下がビオラ